ロマンチックについての考察
二人だけの空間。横浜の夜景。
膝をついた男が手の中から5カラットダイヤの指輪を取り出し、彼女のゆびにはめこんだ。
「結婚してください」
甘く、そして力強い。誠実な男の真っ直ぐな瞳はなんてロマンチック。
彼女ははいと答える代わりに、彼の唇に厚い口づけを...
壁ドュん!袖まくり!ファーストキス!!
きゃーー!!なんて黄色い声が聞こえてきそうなこのシチュエーション!
これぞ、ロマンティッッッック!
しかし、”ロマンティック”とは一体なんぞや。実際のところはよく分からない。
まあフィーリングではなんとなくわかる。ロマンチックはロマンチックだし、ブスはブスだ。
普段は認識になんの問題もないからいいが、ときにしてこのフィーリングで成り立っているロマンチックという危うい概念は、破滅を生む。
例えば、ロマンチックを勘違いした若者が、彼女のために曲を作って歌いドンびかれるパターン。
夏祭り、花火に夢中な彼女に向かって「君の方が綺麗だよ」なんていうパターン。
あー、決して馬鹿にしているわけではない。人によってはクリティティカルヒットだからね!「天使のくれた時間」って映画はみた?あれなんか、まさにクリティカルヒットしてたでしょ。曲を作ってあげるところとか、最高によかったよ。
でもね、現実に生きる人々はそううまくはいかない。
ロマンティックいいじゃん!って思っても、どんびかれるものなんだ。残酷にもね。
壁ドンをまに受けて、やっちゃうのと同じ。AVをまに受けてエッチしちゃって大失敗って方が近いかな。まあ要するにロマンチックっていうのはAVのジャンルと一緒で現実離れしてるからこそいきるものみたいなところがあるんだよ。
はい、終わり。
結論!ロマンチックは非現実、現実でのロマンは諦めましょー!!!
...で終わればいいんだけどこれがまたロマンチックがないと今度はデリカシーがないなんて言われるから難しいものなのさ!!!!
まあ、一番大事なのはお互いの心にある、と僕は思う。これが本当の結論。
「博士の愛した数式」という映画で本当の真実は心で見るものだというセリフが出てくるんだけど、まさにそれだと思うんだよね。
映画の中では、直線を例にそのことを説明している。
例えば、ー←これ。これって直線っていうよね?
でも、本来直線には端と端がないものだから、厳密には直線とは言えない。でも、心の中でこれは直線だって認識してるから直線になれるんだ。
これをロマンチックに言い換えるなら、本当のロマンチックなんてどこにもないけど、お互いにそれがロマンチックだと思うならそれがロマンチックになるってことだね。
だから、お互いの数だけ特別なロマンチックがある。
有名な型にとらわれないで、お互いにちゃんと対話をして、自分たちだけのロマンチックを見つけられるといいよね。
っというお話でした〜!
以上!
せんきゅうバイバーイ!!