思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

社会人を演じる

しまった。

と思った時にはすでに手遅れで、気がつけば社会人になる一歩手前まで来てしまった。

 

世間では、新型ウイルスのニュースが飛び交っていて、新生活へのエールが足りないもんだから、なんだかヌルッと明日を迎えそうだ。

卒論を書き終えて、春休みに向けて意気込んでいた時には「誰よりも真面目に過ごしてやるぞ」と思っていたのに、今日起きたのは昼の12:00、やったことといえば、小説を一冊読んだくらいなものだ。怠惰に負け、もはや昨日のことも思い出せないくらい刺激がない生活を送ってきたわけだが、不思議と後悔の気持ちはない。だってどうせみんなこんなもんでしょ?(ほらね、こういうところ)

 

さて、明日からは社会人を迎えるわけだが、身辺整理は済んだものの、気持ちが全くついてこない。今まで聞いてきた「社会」というやつは、ルールが厳しく、どうやらほとんどのことが通用しない、厳しい競争の世界らしいのだが、ここしばらく僕が過ごしてきた世界は、何をやっても怒られない、遅寝遅起き大歓迎の「自宅」だ。自宅を安全な陸だとしたら、社会は海、無理やり海に放り込まれた私はあっぷあっぷと溺れそうになりながら、生きるために泳ぎ方を会得していくことになるのだろう。苦しむことは必須だ。

 

とはいえ、案外社会人になるのは簡単なことだ。社会を舐めているんじゃないよ、科学的な根拠のもとさ。スタンフォード監獄実験で、囚人役をやらされた人が本当に囚人のようになっていったように、私も社会人という役を獲得した以上は否が応でも社会人らしくなっていくに違いない。数年後には社会人を演じているとうことも忘れて、さも最初からこうでしたけど?みたいな顔をして「社会というのは」などと語っているかもしれない。

社会人になるのは簡単。しかし、それこそが不安の源なのだ。

 

これから私の身には、無意識のうちに必ず変化が起きる。当然無意識なのだから自覚する術もない。もしかしたら、嫌な奴になってしまうかもしれない。ピシッとした服を着て、椅子にふんぞりかえり「みんなバカだなあ、ニート乙」なんて思い込んでいる気取った正義マンになってしまうかも。もしそうなっていたら誰か俺をぶん殴ってくれ。自覚がないからきっと殴り返すだろうけど。

漠然とした恐怖が前日にして拭えない。かといって、演じきれない自分も怖い。本当の怠惰な自分が出てきて社会人失格だなんてことになれば、いっかんのおわりだ。結局のところ、変わらないのも、変わるのも怖いのだ。

マタニティブルー、マリッジブルー内定ブルーと様々なブルーはあるけれど、こういうブルーはなんて呼ぶのだろう。社会人ブルー?なんかダサい。

 

こんな気持ちを抱えていた時に、綿谷りささんの小説のこんな一節が目に止まった。

 

「臆病になっちゃいけないね。大切なものを守りながらも、いろんな景色が見たい」(履歴のない女)

 

これは結婚直後に当たり前のように妻としての自分を受け入れていた不安を感じながらも、最後に主人公が言った言葉だ。

私はこの言葉を読んで、変わっていくというマイナスな考えが、「いろんな景色を見る」という前向きな考えに変わった。

 

心1つで、飛び込んで、そこで得たものをいろんなことに還元しながら、また新しいところへ飛び込んでいく。そんな自分になりたい。当然、「大切なものを守りながら」

 

社会人になって、マナーとか常識とかをたくさん学ぶことになるだろうけれど、決して偉ぶるのではなく、正解が1つであるかのように振る舞うのでも、知らない人を見下すのでもなく、親しみやすく丁寧で、誰かを愛せる人でいたい。

 

その覚悟だけは持って、全速全身で突き進んでいこう。

よし、明日から早起き頑張るぞ!!!

 

 

追伸

いつも最後は明るく書き終えようとして嘘臭くなってしまう癖がある。

正直、社会人になる今日の1番の不安は、「明日ちゃんと起きられるかなあ」だ。2番目に「ゲームやる時間減っちゃうなあ」だ。

なんかカッコつけたくてブログを書いてみたものの、やっぱり最後まで嘘を突き通す技量はないらしい。良心が傷むし、カッコつけてる自分が恥ずかしい。

(本音)社会人はしっかり演じるけれど、その分プライベートのクズさが目立たないことをただただ祈るばかりだ。ああ、お金持ちになれますように。早くお賃金で任天堂スイッチが欲しいよう。