演劇とアイデンティティ
「個性を作ろうとするな。徹底的に自分を消して役になれ。本当の個性とは消そうとしても、消えないものをいうんだ」
これは、まだ自分が高校生だったときに、演劇部の顧問の先生に言われた言葉だ。
演技方針に悩んでいた時の稽古中に先生からこう言われて、すごく楽になったのを覚えている。
この言葉は大学に入ってからも、役に立った。強烈な個性があふれる仲間たちの中でも、焦ることなく自分はとにかく役作りを武器にしようと努力することができた。
舞台に立っているときはすごく気持ち良かった。
普段ならはずかしておしっこを漏らしてしまうようなことでも、役になりきれさえすればなんだってできた。
ただ当たり前のように、それでいて冷静に、声も体も支配して、思うがままに動き回れた。
僕は先生の言葉を信じ、助けられて、生きてきた。
でも、就職活動に入ったとき、僕は少し困ってしまった。
なぜなら、面接で話をしなくてはいけないのは、誰かではなく、僕自身のことだったからだ。
何者かになり切ろうとしなければ、僕は本当の個性を出すことはできない。それでも、僕自身を語らないといけないのだから、もう無茶苦茶だった。
幸いなことに、就職自体は攻略方法が世の中に溢れていたおかげで、いわゆる自己分析をして、なんとか無事に終えることができた。
でも、たとえ自分のことは分かっても、1つ1つの立ち振る舞いはどうすればいいのか分からない。
例えばそう、僕は一体、どうやって歩けばいいのだろう。
40代のおじさん風に? 爽やかな青年風? 仕事できそうな社長のように?
そんなことを考えてしまう。だから、気分によって歩き方を変える。ちなみに今日は、定年退職した次の日の朝のおじさんをイメージして歩いてみた。自然と口角が上がった。雨だったけど。
つまり何が言いたいのかというと、僕は今、自分がわからない。
演劇にどっぷりだった弊害なのか、演じられるという前提条件がないと、自分が分からなくなってしまう。
演じているという武器がないと不安になる。コンビニ店員という役を獲得している人を前にすると、銃をつきつけられているように固まってしまう。
...なんていうのもまた、アイデンティティに悩んでいる演劇人、を演じた男の文章だったりする。
たぶん本当の自分自身は、正直、どうでもいいと思っている。マジで。
それでも、心のどこかにはこんな自分を演じたがっていたみたいだから、こうしてブログで演じてみた。
うまくは書けなかったけど、スッキリしたよ〜。
この文章を通して、何かを考えるきっかけになればと思うけれど、暗くはならないで欲しいな。もしも暗くしちゃったらごめんね。そんな子にはよしよししてあげるよ。
それじゃあ今日はこの辺で!
またね!!!!