新幹線の中で
今から俺は何に会いに行くのだろう。
渡された葬儀のスケジュールにあった『火葬』の項目を見て、そんなことを考えてしまった。
あたりまえだけど、もう祖母は亡くなっている。そのことを改めて実感した。
なら、今から会うのは何なのか。
祖母だったもの。
という言葉が頭をよぎる。
魂が離れ、肉塊とかした抜け殻、つまりは、祖母であったものとこれからあいまみえるのだと。
きっとこんなことを周りの人に言ったら怒られるんだろうな。
祖母をモノ扱いするんじゃない、と。
でも、モノ扱いしないのであれば、どう火葬という現実に向き合えばいいのだろうか。
俺は祖母を焼きたくない。
だから、俺が今から会いに行くのは、祖母だったもの、その抜け殻、そういうことにする。
もちろん、割り切れない人がいるのも重々承知している。顔を見て、今にも笑い出しそうに感じることだってあるだろう。抜け殻の向こう側に魂が見えるのは長く連れ添ってきた人なら当然のことだ。
だから、自分が考えていることは決して表に出すつもりはない。
けど、ここでこうして書くことだけは許して欲しい。これもまた自衛のためだから。
こうこうこういう理由でこう考えたって過程を説明することで、本当の意味で自分を納得させて、できることなら誰かから許しを得たい。
情けない話だが、ただただ話すことで身軽になりたいのだ。
わかって欲しいとは思わないけど、どこかにはいさせて欲しい。過去にこんな罪深いことを考えたと自分を嫌いにならないために、今のうちから言い訳をさせて欲しい。
ただ、疲れた、と言わせて欲しい。
本当に、情けない話なのだけど。