思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

察してちゃんのシンパシー

僕は昔から「察してちゃん」だった。

 

例えば、誰かに消しゴムを貸してほしいとお願いをするとき「すみませんが、消しゴムを貸していただけませんか?」とは言わずに「あの、本当に申し訳ないんですが、消しゴムを...その...」といったように「貸していただけませんか?」を言わずに乗り切ろうとしてしまう。

他にも、遠くにある食卓の醤油をとって欲しいときに「醤油とって」とは言わずに、無謀に手を伸ばし続けて手助けしてもらうのを待っていたりする。

 

どうしてこうなってのかはわからない。でも、とにかく僕は、「お願いします」が言えない。

「寂しい」も「悲しい」ももちろん言えず、「嬉しい」や「楽しい」の感情は親しい人以外には隠そうとしてしまう。

酷いときには、大事な話(相手にこうしてほしいというお願い)をしようと自分から人を呼び出したのに、1時間以上沈黙し続けてしまったこともある。

 

どう頑張ってもなぜか言えない、それが僕の弱みだ。

 

でも、こんな性格をしているからか、同じ察してちゃん同士で奇跡のシンパシーを感じる時がある。

この子の行動にはきっとこういう気持ちがあるんだろうなということが人よりわかるときがあって、その時は言葉を超えた親近感を覚える。

手を伸ばす人がいたら、その先を見つめて、もし自分が取れそうなら真っ先に取ってあげたい。

そう思える。絶対にばかにはしない。自分だってそうだからだ。

 

 

僕が大好きな漫画『ぼくたちは勉強ができない』のなかでこんな台詞がある。

 

 

「できない奴をわかってやれる男になれ。“できない”気持ちを分かってやれるのは、できなかった奴だけだからな」

 

 

僕は努力して弱い自分を鍛え上げて強くなっていきたい。自分のことを好きになりたい。

だから、これからいっぱい努力するし、察してちゃんは卒業するつもりだ。

 

でも、言えない人の気持ちは絶対に否定したくない。

言えないことで苦しんでいる自分を忘れないように、謙虚に前のめりにこれからも努力を続けていこうと思う。苦労の美化は決してしない。

 

 

と、なんかカッコつけたくなったからカッコつけてブログを書いてみました。

ブログもTwitterも頑張るしか言えてないんで、それ以上に活動をしたいっすね!

それじゃあ今日はこの辺で〜バイバイ!!