思春期と倦怠期

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偽善者叩きはもう古い

こんにちは、小嶋です。

 

 

最近は、先駆者に対しても偽善者という言葉を投げかけられる人が多いように感じます。

例えば、募金活動に対して「イメージアップ目的の偽善行為」という言葉を投げかける人ですね。

被災の時に限らず、前澤社長が1人の子供のために募金した時にも「偽善だ!」言う人がいて驚きました。

 

 

今時、言われる方は偽善者叩きされるのがわかった上でやってるよ。ってのにです。

 

どうせ、イメージアップのためでしょ?とか別の目的があるんでしょ?

と、さも名探偵気取りで突っ込む人がいますが、そんなことは当たり前で、これだけ人の評価にさらされる今を生きてきているのだから気がつかない方が難しいことです。

 

それでも、前澤さんを例に挙げるとするならば、「偽善者叩きに合うだけで、1人の命を救った」わけですね。

 

他にも助けを必要としている人がいる。とか、偽善者だって叩かれるとか自分のお金がこんなになくなるのかあ、とかでぐずぐずしないで、自分ができることをやったおかげで救える命は0から1に変わりました。

偽善者だって叩かれちゃうよ、と怯えて何もしない人と比べたらどれだけいい行動かと思います。

 

このように、結果が全てと考えれば、結果が人のためになるのならば、たとえ叩かれようとやった方がいいと思います。

今時の偽善者と呼ばれる人のほとんどはこのことを分かった上で、やっています。

 

 

でも、それじゃあ、Twitterで呟くなよ、という人もいるかもしれませんがそれも間違いです。

今時、純粋な善意だけで人助けできるほど甘くはありません。

広告費として捻出した企業のお金で人助けをしてイメージアップを図ったって全然構わないし、むしろビジネスとして成り立つのなら持続可能性に優れています。

前澤社長がそれをやったことでいわば社会実験となり他の企業が今度は別の人助けをやりだすかもしれないし、社長のもとに人助けをしたい人が集まってきて新しいものが生まれるかもしれません。

だから、少しでも自分のためや利益になるのならそうするべきだと思います。

これは意地汚いことではなくて、そうしていかないと持続性がなくなっちゃうよって話です。

 

 

 

確かに、以前まではネットに慣れていない人が自らの善を鼻につくほどアピールして偽善者叩きにあっていたかもしれません。

しかし、ネットに慣れてきている今、偽善者叩きはもう古くて、むしろこれをすることで生まれる結果やその先の影響を分析して自分にできることは何かを考えていくような時代だと思います。

皆さんも、例え悪く言われても、人のためにできることを行動してみてはいかがでしょうか。

 

それじゃあ今日はこれで、バイバイ!!

 

PS

被災地に千羽鶴とか捨てるのに困るゴミを送りつけるのようなのが本物の偽善者だ!!!

許すな!!!!!!