思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

誰かの中に弱さを作り出してそこに居座ろうっていう人間

こんにちは、小嶋です。

 

最近は暇な時間が多いので、就活の時に作った自己分析ノートを見返していました。

改めて自分って何がしたんだっけ?ってなったからです。

ノートにあるやりたいこと、の欄には「落ち込んでいる人にも届けられるエンタメを作りたい」と書いてありました。その横には具体的に、短い物語、広い入り口を持つスマホゲーム、コミュニティ作り、なんていうことが書いてあります。

なんでこれがやりたいと思ったのかというと、過去に何度もあった、身近な人を助けたいと思ったけれど何もできなかったという苦い経験から、じゃあ常に第3者目線で届けるしかないエンタメで最高のものを作ろう、と覚悟したことがきっかけ〜などと書いてある。もはや懐かしい反面すげえ恥ずかしい。

 

しかし、それにしてもなんだかしっくりこない。

 

そんな時、今日読んだ本の中でこんな一節を見つけました。

 

「私が助けてほしい時はな、誰かの中に弱さを作り出してそこに居座ろうっていう人間じゃなくて、『申し訳ないけど助けてほしい』ってはなっから信頼している人か専門家に言うよ」(津村  2015: 265)

 

これを読んだ時、自分に対して言われているんじゃないかと思ってひやっとしました。お前は、誰かを助けるために弱者を作り出すような、迷惑で悲観的な考え方をしすぎているんだ、と。

 

でも、なんでこんな単純なことに気がつかなかったんだろう。恥ずかしい。と改めて考えると、自分には「はなっから信頼している人」と言う人間のイメージが湧かないからなのかもしれないなと思いました。

悔しいけれど、他でもない自分自身が、本当に助けてほしい時はエンタメに頼ることしかできないから、エンタメの力を過信しすぎていたのかもしれません。

そして自覚なきわたしは人の深くまで立ち入るくせに、貧弱ゆえに心に針穴を刺すだけ刺して知らん顔したり、いざと言うときはハシゴをおろして逃げていたかもしれないとも。(これは卑屈すぎるかもしれないけれど)

 

この発見を機に、これからは奢らず慎ましく生きていこうと思います。

と、言いたいところなのですが、もう自分はどうしてもしゃしゃり出てしまう人間だってことはわかっているので、後者で言うところのエンタメの「専門家」になれるように頑張ろうと思います。

 

「あーもう疲れたー、楽しませろー」

( ´・ω・)⊃旦 スッ

 

ってできるってだけでも十分幸せだしね。そう言うスタンスを取れる仕事を探して就職活動もしたつもり!だから、後悔はしてないよ!

頑張れるうちは頑張る!しゃしゃられるのがうざい人は本当にごめんね!お詫びにちゅうしよ!ぶちゅうううううううううううううううううううう❤️

 

文献:津村記久子, 2015,『この世にたやすい仕事はない』新潮社 .