思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

思い出の純度

久しぶりの雪を見て抱いた感想は「外に出たくねえなあ」だった。

雪は綺麗と感じるのは、冬は雪を見るものというユートピアがあるから出てくる発想であって、今頃ふる雪は温度を下げる人間の敵でしかない。

雪を見て思い浮かべる思い出もない。正確にはありすぎて浮かばないというのが正しい。

そりゃあこうして文章を起こそうと思えば、友達3人で雪だるまを作ったことや、本気で冷たいのが嫌なのに雪玉をぶつけて濡らしやがった鼻が低いあいつの顔も浮かぶ。

でも、それは全て骨髄反射的に出てくるものではないから、写真を撮られそうになってする苦笑いくらい嘘くさいものだ。

 

歳をとると思い出が増えて、話の引き出しこそ増えるが、パッと鮮明に思い浮かぶ思い出の純度が濁っていくように感じる。

見ての通り私も雪に対しては濁りきっているけれど、さけるチーズに関しては純粋無垢なチェリーボーイだ。コンビニで商品を見かけた時は、乳製品が苦手なはずなのに避けるチーズは大量に購入していた友人のことをまず真っ先に思い浮かべることができる。その時の自分は、友人から初めてこの話を聞いた時と同じおかしい気持ちになれるので、さけるチーズは私にとって気持ちを明るくさせる起爆剤としての役割を果たしている。

でも、もしもこの先、さけるチーズをいつも口に加えながら私のことをいびってくる上司なんかと出会ったとしたらさけるチーズを避けるようになって、そもそも何も思い出さないように努められるんだろうな。

 

ものから連想される思い出というのは、世界中に思い出を隠しているみたいでなんだかかわいい感じがする。

でもやっぱり季節外れの雪は可愛くない。衣替え、いつしようかなあ。