思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

ぼっちの欲望

君は友達が欲しいですか?恋人は?

お昼には誰かと一緒にご飯を食べたい?

 

時々、他人から「ぼっちは惨めだ」という評価が下されることがあります。

ところが、当のぼっち本人には実感がなかったりする。

 

なぜなら、それが当たり前だからです。

 

僕にとって、友人がいなくて惨め、という感覚は、3ヶ月に1回は海外旅行に行き、毎晩家族全員で食卓を囲むようななごやかで幸せな家庭じゃなくてかわいそう、といわれているくらい意味がわからないことです。

 

それでも、突然、親友ができたり恋人ができたりして、今まで蓋をしていた欲望がこんにちはしてくることもあります。

 

大学生活をしていた時がまさにそうでした。

大学2年生の時までは、いつも1人で昼ごはんを食べていて、講義も1人で受けていました。それが当たり前で、勉強しにきていたのでなんの不満もありませんでした。

でも、2年生に上がった時に、たまたま部活の人と同じ授業を3限目にとっていたことから、昼休みに少し早くきて、その教室で一緒にご飯を食べるということがありました。すごく嬉しかったのを覚えています。

 

友人と待ち合わせをしている教室に1人でいる時は、いつもとは違って、気が抜けないというか、いつくるかなというドキドキ感で一杯になりました。生まれたてベイビーの欲望は押さえつけるのが難しいものです。どうでもいいと思っていたことは実はどうでもいいことじゃなかったんだと気付かされました。友達は大事!

 

しかし、その授業も終わり、大学生活も終わった今、僕はもとの僕に戻ってきました。

もとの僕というのがどこにいるのかはわかりませんが、今の僕にとって大学時代に過ごした日々は長い長い非日常だったかのように感じられます。

 

僕は今も、そしてこれからも届かないものには蓋をして機会があれば蓋を開いていくような受け身な人生をおくっていくと思います。

僕にとっての日常は退屈でつまらなくて、居心地がいいもので、その良さを必死に守るものです。

 

でもいつか、長い長い非日常が本当の日常になったとするなら、そのときは「ぼっちは惨め」だと思うようになるのかもしれません。

それはすごく怖いことで、きっとその恐怖ゆえに僕は退屈な日常に逃げ帰ることが何度もあると思います。

 

とはいえ、そんな決意も、目の前に現れた素晴らしい人やものには無力で、どうせまたパッカリと蓋を開けるのでしょう。それが大学生活でわかったことです。

 

将来が不安で、怖くて、楽しみで、ワクワクもしている。

次はどんなベイビーな欲望たちと会えるのかすら。二転三転。