今日という冒険を聞いてくれ。
あのね、今日、初出社だったんだよ!健康診断があったから行ったんだよね!
最初はね。すごく怖かった。何が怖いのかもわからないけど、吐き気がして強いストレスを感じてることだけはわかったの。
でも、いざ会社に行ったらいつの間にかなくなってた!声は出なくなってたけど、メンタルは守られたみたいだね!偉い方におつかれさまですと声をかけられて「お、お、、おつ...」しか言えなかった時はクビになるかと思っちゃった!でも平気だよー。
それでねー、健康診断はね、すごく怖かった。
だって血を抜かれるんだもん。ついでに、朝に検尿カップを落として流してしまって業者を呼ぶ羽目になっちゃった嫌な思い出も後押ししてたからかなー。
だから、健康診断で血を採取される間、ずっと目を閉じてたんだ。心を消して擬似コールドスリープをしてたの。
でもねぇ、これがまたなかなか血が出なくてさ!
グーパーを繰り返しながら、決して二針目が刺されることがないよう血に頑張れと語りかけていたんだ。
なんとか思いは届いて二針目は避けられたわけだけど、最後に看護師さんから「緊張した?なかなかでなかってね」って、言われてすごく恥ずかしかったんだよー。
いまこうして文字に起こすと初エッチの後みたいで、センシティブだけど当時はそんな余裕全然なかったなぁ。年もかなり離れてたしねー!
あとね、あとね、行きも帰りも電車が止まってて、運がないなぁって思っちゃったの。でも、僕に運がないということはきっと働いてる人みんな運がないんだろうねぇ。
あとはぁ、あ、そうそう。
さっき、喧嘩別れしちゃった人とすごく似ている人とすれ違ってね。一瞬、本人かもと思っちゃってその一瞬のうちに心臓がギューーーンって締め付けられたんだよね。
こんなに一瞬で人の心って変わるもんなんだってびっくりしちゃったよー。
僕はそこまでひどくないけど、これが行き過ぎるとPTSDになるのかなぁって思っちゃった。今はまだ沈んだ心を戻せるくらいの環境があるからいいけど、仕事での関係もダメダメリンになっちゃったらたぶん生きていけないだろーなー。
って、結局くらい話してふー!fooー!
……励ましてくれてありがとう。
今度は、君の話しが聞きたいな。
ううん、君の話だけでもいいんだよ。
ふふん、僕にとっての嫌なことって結局ハッピーなんだよねー。だって、君が励ましてくれるんたん。
でも君のことが心配だな。それだけはアンハッピーだよ。だからおしえて!はなして!恥ずかしがらないで!
今日1日の大冒険を、僕にはなしてごらんよ!!
ひらいて。
ロマンチックについての考察
二人だけの空間。横浜の夜景。
膝をついた男が手の中から5カラットダイヤの指輪を取り出し、彼女のゆびにはめこんだ。
「結婚してください」
甘く、そして力強い。誠実な男の真っ直ぐな瞳はなんてロマンチック。
彼女ははいと答える代わりに、彼の唇に厚い口づけを...
壁ドュん!袖まくり!ファーストキス!!
きゃーー!!なんて黄色い声が聞こえてきそうなこのシチュエーション!
これぞ、ロマンティッッッック!
しかし、”ロマンティック”とは一体なんぞや。実際のところはよく分からない。
まあフィーリングではなんとなくわかる。ロマンチックはロマンチックだし、ブスはブスだ。
普段は認識になんの問題もないからいいが、ときにしてこのフィーリングで成り立っているロマンチックという危うい概念は、破滅を生む。
例えば、ロマンチックを勘違いした若者が、彼女のために曲を作って歌いドンびかれるパターン。
夏祭り、花火に夢中な彼女に向かって「君の方が綺麗だよ」なんていうパターン。
あー、決して馬鹿にしているわけではない。人によってはクリティティカルヒットだからね!「天使のくれた時間」って映画はみた?あれなんか、まさにクリティカルヒットしてたでしょ。曲を作ってあげるところとか、最高によかったよ。
でもね、現実に生きる人々はそううまくはいかない。
ロマンティックいいじゃん!って思っても、どんびかれるものなんだ。残酷にもね。
壁ドンをまに受けて、やっちゃうのと同じ。AVをまに受けてエッチしちゃって大失敗って方が近いかな。まあ要するにロマンチックっていうのはAVのジャンルと一緒で現実離れしてるからこそいきるものみたいなところがあるんだよ。
はい、終わり。
結論!ロマンチックは非現実、現実でのロマンは諦めましょー!!!
...で終わればいいんだけどこれがまたロマンチックがないと今度はデリカシーがないなんて言われるから難しいものなのさ!!!!
まあ、一番大事なのはお互いの心にある、と僕は思う。これが本当の結論。
「博士の愛した数式」という映画で本当の真実は心で見るものだというセリフが出てくるんだけど、まさにそれだと思うんだよね。
映画の中では、直線を例にそのことを説明している。
例えば、ー←これ。これって直線っていうよね?
でも、本来直線には端と端がないものだから、厳密には直線とは言えない。でも、心の中でこれは直線だって認識してるから直線になれるんだ。
これをロマンチックに言い換えるなら、本当のロマンチックなんてどこにもないけど、お互いにそれがロマンチックだと思うならそれがロマンチックになるってことだね。
だから、お互いの数だけ特別なロマンチックがある。
有名な型にとらわれないで、お互いにちゃんと対話をして、自分たちだけのロマンチックを見つけられるといいよね。
っというお話でした〜!
以上!
せんきゅうバイバーイ!!
小雨の夜
一番好きな天気は、小雨が降っている夜だ。
外に出ようと思えば出られるけど、できるなら家にいたいという感覚が根っからの自分と合っている。
こそこそ太陽に隠れる必要もなければ、雨水に外へ行くことを阻止されているわけでもない。ただそこにいるだけの、ちょうどいい天気。
夜、というのもまた重要だ。
これが昼や朝なんかであれば、雨にイライラした人の空気に飲み込まれちゃうからね。
仕事を終えて、外に行ってもいいし、帰ってもいいというこの自由さ、静けさ、大人になった今も感じる「夕焼けの後も外にいるもんね〜」というワクワク感。夜でなければこの感覚は味わえない。
今日は小雨の夜。最高の気分だ。
仲良しこよしの恋人同士なんかは、僕が今天気に感じているのと同じことを感じるのだろうか。
無理のない感覚が、心地いいといいうか。
ありのままでいられる感覚、無害な存在を通り越して、体の内側にのめり込んでくるようなこの感じ。
今は思う側でしかないけれど、思われる側ってどんな感じなんだろう。
小雨の夜に愛されたなら、自分はどんな気分になるんだろう。
......
想像してみたけれど、多分あんまり変わらないと思った!多分、ね。
だって、せっかくありのままでいられるって話だったのに何か変わるなんて思えないもん。
それでも変わってしまう、変えてしまうのが本物の魔性の女、男なのかもしれないわね。
うふん。何考えるか分からなくなったからこの辺で。
バイバイ!
天下統一夢の国
初めまして、芭蕉です。
嘘はついていません。前世ですから。
こんな自己紹介をクラスで最初にしたらどれくらい引かれるだろう。
まだ漏らした方がマシ。そういえば膀胱が最近膨らんできた。AカップからDカップくらいには膨らんだ。
でも、それはおしっこを我慢できる時間が増えたとかいうわけではなくて、むしろいっぱいしたくなる。
なんでかって?医者に聞いてくれ。
ドアを開けたら扇風機があるんだけど、風がいつも生温くて困っているんだよね。
氷を吊るしたら冷風になるかもと思うけど、まず氷を吊すのがめんどくさいし、仮にできたとしても溶けるやん。アホくさ。
アホくさって最悪な体言止めだよね。なんというかすごく嫌いな感じだ。ううーん、なんで嫌いなのか?知らん、医者に聞いてくれ。
海に飛び込んでラピュタの巨神兵と出会ってくる。音楽がなるんだ。オーケストラで。指揮はもちろん杉山こういち。長生きアカデミー章1位の人だね。
風船で気球に飛び乗ったら、雲の上でお散歩をしなくちゃいけない。君と歩く100万歩。万歩ってエロくね?
時計の針がチクタクキムタク。歯に挟まったマスタード。ちかいのキスは突然に。いやん、ファーストキスがけっちゃっぷ味なんて最悪ー!
生まれ変わったらロバになりたい。
ヒヒーンひん、anan。表紙はもちろんこの俺、サマーデイモンって誰?ときめきを忘れないで、夢を持って。
死んでいく人たちの最後の言葉。もっと声を。
聞きたい?喋りたい?届けたい?
僕は違うね。君もそうだろ?
正解はひとつもないんだから、まずは貯金しなくっちゃ、いつかのためにね。相手はいなくなっているんだけどさ。
遅すぎることはある、早すぎることもある。タイミングなんてものはない。
正義はない、正しく生きる道が正しいけど、じゃあそれしか選べないならなんで生きているのかわからない。
運命が邪魔をする。運命って?邪魔ってどんなふうに?
ユアストーリー、マイライフ。親孝行もほどほどに。
仁義なき戦い。今日は水曜、折り返し地点。その嘆きはどこにもいかない。心の奥に溶けていく。
ネットで汚い言葉を言う人が自然体だともてはやされ、リアルで汚い言葉を言う人は嫌われる。
自然体というパフォーマンス。自然体という言葉の崩壊。演技っぽい、嘘っぽいのはどんな人?
そういうカテゴリの言語感覚を持っている人?それともやっぱりオーラでわかんのかな。
今までたくさんの嘘を見てきたからその経験が蓄積してもはや直感レベルでわかるっていうね。人が顔を見極めるのと一緒のこと。
あ、死。なんだか死という言葉を使いたがる。貧弱な語彙のせい。いきがった無知の末。
末っ子どもを屍に、今日ももじに世界に逃げる。立ち向かうための牙をとぐ。
マラソンの最後の数百メートルを頑張るための言葉を紡ぐために、今日も生きる。
繊細人間、悪口に怒るの巻
【政治家は罵倒してもいいという空気】
こんばんは、小嶋瞭太です。
現在、Twitterでは #安倍やめろ がトレンド入りしています。
政治に関しての議論が居酒屋でもカフェでもなく、インターネットという場所で積極的に行われるようになったのはとても素晴らしいことです。
ただし、政治に関する議論とは別に、政治家の人を必要以上に罵倒する言葉もたくさん呟かれているのはとても悲しいことです。
思えば、昔から政治に関する話題には罵倒がつきものでした。というか罵倒ですめばいい方で、世の中には暗殺される政治家もいるほどです。
そりゃあ自分たちの生活にかかっている事なのだから、必死に議論するし、任せる相手は慎重に選びたいものでしょう。
でも、それにしても「政治家は罵倒してもいい」空気が当たり前のようになりすぎている気がします。
本当は誰であっても、人を平気で罵倒するなんてあってはならないはずです。
政治家であっても、その人には家族がいて、人生があって、心があります。
どうかそのことを忘れないでほしいです。
【演出は○○してもいいという空気】
それは政治に限った話ではありません。
例えば演劇もそうです。
演出だからといって、役者に対して灰皿を投げるのが当たり前ではないし、恥をかかせるのも当たり前ではありません。
その人なりに必死に考えて演じたものを、馬鹿にして笑っていいはずがありません。今まで自分が役者だった時にそうだったからと言って、それが正解とは限りません。
【まとめ】
今一度自分の社会を見直してみて、異常ではないか、誰かをひどく傷つけてはいないか考えてほしい。そして行動してほしいです。
これからコミュニティを作りたいという人も、既にあるコミュニティをより良くしたいと思っている人も、「当たり前のように誰かを罵倒してもいい空気」が作られていないか常に警戒しておくといいと思います。
人の言葉は救いもすれば殺しもします。どうか皆様が人殺しになりませんように。
両思いの考察
「同じ時間を共有し合えるなんて奇跡だよ」
大学生1年生の時、中庭で友達と楽しそうにご飯を食べている人たちを見てこんなことを思っていた。
自分には一緒に食事を取りたいと思う相手もいなければ、思われる相手もいなかったから、そのどちらもクリアしている人たちが大勢いることには正直驚いた。
なんで誘われるのか、なんで誘えるのか、なんで誘われても行くのか。
その全てが不思議だった。
友達と時間を過ごすことさえこんな認識なのだから、ましてや恋人と時間を過ごすなんて宝くじに当選するよりも難しいことのように思える。
何せ、友達は複数持てるけど恋人は一人きり。既にいる人も大勢いる状況でどうやって恋人なんて作れるんだろうか。
でも、その後の4年間を通して考え方が変わった。
実際に遊びに誘われたり、誘ったりしていく中で気がついたのは、案外みんな時間になげやりだってことだ。
馬鹿にしているとかではなくて、むしろ自分を卑下している。要は、自分の理想が高すぎたって話。
みんなこの人とご飯を食べよう!恋人と会おう!ってことにウッキウキのウッキーな気持ちになっているわけではなくて、「まあ、いいかな」くらいの気持ちで応じていることがほとんだった。
これはきっと偏見なだろうけれど、こういう受身なタイプが9割と1割の積極的なタイプで世の中の人間関係は成り立っているように思う。
今までは10割積極的なタイプでお互いの気持ちが衝突した時に、ようやく両思いの時間を作れると思っていたわけだからこれは大きな気づきだ。
それに、残り1割の誘う側タイプにも大きな誤解があったと気がついた。
今までは、寂しい!あの人が好き!誘っちゃーっと!っていう自分志向な人しかいないと思っていたけれど、誰かを誘う理由にはいろんなタイプがあった。
例えば、エンタメタイプ。私が誘うことでみんなとの時間が生まれることに喜びを覚えて誘う、とかね。まあ僕は典型的なこのタイプなんだけど。
見返りを求めるわけじゃないけど楽しませたい!自分も楽しみたい!という2つの理由が重なった時、僕は遊びやデートに誘いたくなるんだなって気がついた。
そんなこんなで今日はもしも僕と同じような誤解をしている人がいたら気がついて欲しいなと思って書いてみたけど、どうだっただろう。
ほとんどの人からしたら当たり前なんだろうけど、自分は割と最近まで誤解していたよ。
だからもし、今恋人がいる人で自分からは誘っているのに相手からは誘われないから両思いじゃないかもって思っている人がいたら、こういうことを思い出して欲しいな。
いろんなタイプがいるんだよ。受け身の中にもいろいろいる。ネタバレなしで楽しみたいタイプからもしれないし、純粋に誘うのが苦手っていうのもあるよね。
ほら、会いたい時に連絡しても実際に会えるまでにはスケジュールを合わせるのに時間がかかったりするだろ?
だから、自分が会いたい時にちゃんと会えるように誘うのって結構コツがいるんだよね、会いたいよりも少し早く誘わなくちゃいけない。これ結構難しくない?
だから君はこんなに難しいことをやり遂げていることを誇りに思って、こりゃあ相手には難しいかもなあなんて寛大な気持ちを持つといいかもね。
なんか求められていないのに恋愛相談みたいになっちゃった。
じゃあ、明日も頑張ろうね!
おやすみ~。
すごい!って言える人
「すげー! 俺、感動したわ!」
相手の些細なところでも感動し、瞬時に言葉にできる人が羨ましい。
僕は感動が通り過ぎていった後にじんわりと広がっていく鈍感タイプなので、瞬時に相手を褒めることが非常に難しい。
演劇のアンケートなんか、観た後の30分くらいは「よかったです」以外の語彙力が失われ、それから夜眠るまでの間にどこがどうよかったの分析がようやく始まる。よくTwitterで絵師さんなんかが「いいと思ったら反応をください、それがないとモチベーションが持たないんです!」といった訴えをしているのを見るけれど、僕は彼らにとって叱られる対象なんだろうな。
でも、この何事にも感動できるタイプにも僕のお父さんみたいに失敗している人もいるから注意が必要だ。
お父さんはよく「うひゃああ! おいしい!」といって母の手料理を食べるだが、母はいつも「うるさい」と不快そうに小声でいう。
何が嫌なのか聞いてみると「いつも言っているから嘘っぽいし、舌がバカなんじゃないかと思う、自分で失敗したとわかっているときに言われるとむかつく。言えば喜ぶと思っている」だそうだ。
このことから、「すげー! 俺、感動したわ!」を使いこなすには、あくまでも素直な気持ちで言うことと、連発をしすぎてはいけないことがわかる。
僕みたいに、相手を喜ばしたい、なんて下心を持っている時点でこのテクニックは使いこなせないというわけだ。ぴえん。
そして、「すげー! 俺、感動したわ!」をよく言っていた君も、この言葉が相手を喜ばせると知ってしまった以上、若干の下心が芽生えてしまい使えなくなってしまうかもしれない。
もしそうなったら本当に申し訳ないと思うけれど、君の心は根っからが綺麗だから心配いらないよ。
最近はコロナウイルスで不安な人たちを励ませるコメント力が大事になってきている分、言葉の難しさを実感することが多いよね。
大丈夫、見ての通り僕もすこぶる苦手なタイプだから一緒に頑張って行こう。
まだまだ怖くて喋らなくなっちゃうことが多いから、失敗してもいいからとにかく喋ろう!と踏ん張れるような、そんな勇気が欲しいわね。
そうさ、100%ゆーき。