思春期と倦怠期

書きたいことを書くだけ!

子供部屋からクリスマスを眺める。

なんてことができるわけがない。俺が今見ているのはパソコンの画面だ。

不満、愚痴、嫉妬、醜い言葉。その数々を眺め、クリスマスに劣等感を抱くものたちと傷を舐め合っている最中なのだ。

 

俺は子供の頃からクリスマスが大嫌いだった。

いい子にしていないとサンタさんはこないというが、1年間いい子にしていてやっと来てくれたサンタさんは毎年何をもってきてくれたと思う?

勉強の参考書だ。ふざけんな。それに比べて、クラスの悪ガキどもは、ゲーム機なんて高価のものをもらっているものだから、納得がいかない。

僕をいじめていたあいつはいい子だったと言えるのでしょうか?ねえ、サンタさん、いい子ってなんですか?基準は?主観だけ評価しないでくださいよ。ねえサンタさん。

 

後日、サンタさんは自分が願ったものをくれるんだという話をそいつから聞いた時にはどれだけ驚いたことか。

うちの場合はその子にとって一番必要なものをサンタさんが選んでプレゼントしてくれると聞いていたからこっちに決定権なんてなかったぞ。

異文化、異文化。ああ、嫉妬する!

ついでに愚痴ると、お年玉の金額でも不平等を感じたものだ。世の中、不公平だ!全くそうだ!

 

そんなわけで今年もやってきたクリスマス。

とっくにサンタさんは死んで、なおも子供部屋にすまうワタクシでございます。

抱えているものは`so!さっきも言ったがレットゥーカンだ。

 

昨日のクリスマスイブ。聖なる夜のムカムカを抑えるために少し早めの大掃除をしたところ、子供の頃の写真が複数出てきた。

両親は写真をとるのが好きで、ことあるごとにカメラを俺に向けていたのだが、それがまあ、幸せそうな顔をしてやがるわけだよ。

こんな未来(←)とも知らずに、呑気なものでさ。

 

そして思い知るわけだ、

 

           俺は一生、昔の自分に勝てないんだなって。

 

 

近所の人を集めて、行ったクリスマスパーティも、お誕生日会も、友達を呼んでやったスマブラ大会も、もう戻ってこないんだ。

そう思ったら虚しくなって、写真を眺めるのをやめて全部ゴミ袋にぶっ込んだ。

 

せいせいした。気持ちよかった。

ローランド様だって、ものをほとんどおかないというじゃないか。俺ってローランドみたいでかっこいいじゃんって思った。

 

でも、一日経って、玄関の前にあるゴミ袋を見てまた思うわけだな。

本当にこんなんでいいんだろうかって。

 

確かにいっときはスッキリした気持ちになれたわけど、

改めて考えると自分という存在があまりにもみっともなさすぎる。

学校からも仕事からも社会からも親からも逃げ続け、さらには思い出からも逃げているくせに、

立派に生にはしがみついてやがるというこの図太さ。

 

自分にとってこの写真たちを捨てるというのはどこか一線を超える何かのような気がした。

過去を捨てて前を見るみたいな、失恋を乗り越えて新しい恋へ、みたいなのならいいんだけどさ。

後ろ向きな思い出の削除というのは、こうも惨めなモノなのかねえ。シミ、地味。

 

とはいえ、俺はこんな面倒くさいことは考えない。

だって今日はクリスマス。気分を高めたっていいじゃないか。ほんの少し望んでみたっていいじゃないか。

きっかけに飢えているワタクシこと、子供部屋おじさんは、過去の自分には一生勝てないと思い知りながらも、今日の幸せを求めて、コカコーラを買いにコンビニへ行くのであった。

 

ーふぃんー