あけおめと言いたくない
あけおめことよろ!キャピッ⭐️(真顔)
全く、どこのどいつだあけおめなんで文化を作ったやつは。
毎年、手間のかかる年賀状文化が廃れてきたのはいいが、LINEやSNSで新年の挨拶をするのが定番となっているのはどうも解せん。
いや、いいんだ。わかる。
この挨拶をきっかけに会話したいなと思っていた人と話す言い訳ができるのは素敵なことさ。
好きな人にあけおめって送って、なんなら新年の約束なんかしちゃってね。すばらしい文化じゃあないか。
だが!
なんだろう、あけおめことよろ!ということに抵抗がある自分がいるんだよ。
だって、同調圧力に屈したみたいではないか!!!
別に俺のあけおめことよろを待ってる人なんて誰もいないのわかるんだが、何も言わないというのもそれはそれで、コミュニティの一員じゃない感じがするわけで...。
求められてないあけおめことよろを圧力に屈して言うこの感じは屈辱以外の何者でない。そう感じるんだよ。
例えるならば、イケメンくんの付き添いでカラオケにきてローテーションだから歌を歌うけど、本当は音痴だから歌いたくないし、みんなも興味なさそうだし誰も得しないようなそんな屈辱感。
おーれはーじゃいあーん!
あけま〜しておめ〜でと〜♪
そういうわけで、皆があけおめと言い出す前、新年が始まる2020年にあけおめことよろの儀式を済ませた私なのでありました。
結局、圧力に屈したわけだが、圧力が生まれる前に先手を打ったので、実質屈してないと言うか屈する前に屈したと言うか、初めから負けておけば、負けることはないと言うか、実質俺の勝ち。